だいたい吉祥寺に住まう

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2025.05.20 更新

意外な理由[2]

「運転手さんは、炭水化物全般に対する欲求が少ないんでしょうか。ずっと車に乗ってなきゃいけないお仕事なのに、腹保ち的に大丈夫なんですか?」
「それは大丈夫。毎日、茹でたジャガイモをたくさん食ってるから。仕事がない日は、バターをかけたイモとウィンナーをつまみに、昼から家でビール飲むのが至福のひとときです」
「ドイツ人みたいだ。本当にドイツ人がジャガイモとウィンナーとビールばっかり飲み食いしてるのか、実際のところを知らないですが」
「食生活が合いそうだから、自分も『ドイツに行ってみたいな』とずっと思ってます。いや、贅沢は言わない。米が主流じゃない場所でさえあれば、ドイツじゃなくてもいい!」

 しかし日本で生活するにあたって、アレルギーでもダイエットでもないのに米を忌避し、ジャガイモばっかり食べてるひとが家のなかにいると、家族はやや困惑するのではと思ったのだが、運転手さんは二十年以上まえに離婚して以来、悠々自適の一人暮らしなのだそうだ。

「やっぱり離婚原因は、運転手さんがお米を食べなかったから⋯⋯」
「やだなあ、ちがいますよ。自分、頑固なとこがあるんで、元奥さんとうまく折りあえなかったんでしょうね」
「やっぱり頑固に、お米を食べなかったから⋯⋯」
「うーん、そう言われると、米も一因な気がしてきましたね⋯⋯。元奥さん、ふつうに米を食べるひとだったし」

 運転手さんは私とは折りあってくれて、「よし、今後は『米が原因で妻と別れた男です』って自己紹介しますわ!」と、離婚理由をおおざっぱにまとめる方針を採択したのだった。

 私はわりとなんでも、おいしくいただく。それゆえ、きらいな食べ物があるひとに、「なぜきらいなのか」を詳しく聞くのが好きだ。たいがい、繊細な舌と感性の持ち主で、思いもよらない理由やエピソードを教えてくれるからだ。そのひとのトラウマになっている食エピソードもあるので、そこを無遠慮にほじくらないよう、注意せねばならないが。

 それにしても、お米のにおいか⋯⋯。「ほこほこ甘くていい香り」と私が感じるのは、単なる思いこみというか刷りこみに過ぎなかったのかも、と運転手さんの話を聞いて思った。無心になって嗅いだら、案外クセのあるにおいなのかもしれない。でも私はもう、無心の状態には戻れない。「米=おいしい」という価値観、文化、食習慣に、どっぷり浸かってしまっているからだ。

 そこに浸かりきらず、頑固にジャガイモを食べる運転手さん、すごいなと思う。「米を食べない」ことによって、むしろだれよりも実直に、米という存在と向きあっているのではあるまいか。

 味や香りや食感のみではなく、各人の背景、生きてきた道のりに影響されながら、私たちはなにかを「おいしい/まずい」と判断しているんだなと、つくづく感じた。

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著者:三浦しをん(みうら・しをん)氏

1976年、東京生まれ。
2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。
2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞、2019年に河合隼雄物語賞、2019年『愛なき世界』で日本植物学会賞特別賞を受賞。
そのほかの小説に『風が強く吹いている』『光』『神去なあなあ日常』『きみはポラリス』『墨のゆらめき』など、エッセイ集に『乙女なげやり』『のっけから失礼します』『好きになってしまいました。』など、多数の著書がある。

撮影 松蔭浩之

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