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2025.09.24 更新

奈良漬けに思う

 前回も書いたが、私は粕漬け(野菜の漬物)がやや苦手だ。いわゆる奈良漬けですな。甘さと微妙な苦みのコラボを、脳がどう処理していいのかわからないのだと思う。

 お土産などでいただいたら、もちろんおいしくぱくぱく食べるのだが、自分から積極的に買って食べようとはしてこなかった。それにしても、「やや苦手」でもぱくぱく食べるのか⋯⋯。「苦手」な食べものは咄嗟に思いつかないし、この食べっぷりだと、じゃあ「大好物」をまえにしたらどうなってしまうんだ、と自分でも気が揉める。ダイソンなみの吸引力を見せ、一瞬で大好物をたいらげているのではあるまいな。なるべく慎みを持って、会話などをちゃんと楽しみつつ、お上品に食べたいものだ。

 食事の速度はひとそれぞれだが、複数名で食べているとき、なかなか大皿から自分のぶんの料理を取りわけないひとがいると、私は気になってたまらなくなる。「唐揚げ、一人二個の計算なのだが、なぜAさんは一個しか取らなかったのだろう。もうおなかいっぱいなのかな。それとも、残り一個はあとでゆっくり味わおうと思ってるのかな」と、つい会話そっちのけで、大皿の唐揚げを凝視してしまう。

 いやべつに、あわよくば自分が三個目の唐揚げを食べたいと思ってるわけではないのだ。大皿料理が各人の小皿にきれいに取りわけられるのを見ると安心するというか、「ああ、よかった。行き先が定まらない料理が出現せずにすんだ」と思えて、食に専心できる。だから、比較的個数が明確な大皿料理(唐揚げとか、サラダのプチトマトとか)の場合、テーブルに運ばれてきた瞬間に、「プチトマト九個。ここにいるのは五人。だれか一人がプチトマト一個になってしまう」とか考えている。⋯⋯食い意地? いやいや、そういうときはさりげなく取りわけ係を買って出て、みんなのぶんをプチトマト二個に、自分のぶんをプチトマト一個にするよう心がけているので、なにがなんでもプチトマト二個じゃないといやだ、というわけではない。

 取りわけられるのが苦手というひともいる。その気持ちもよくわかる。自分のペースで、自分が食べたいぶんだけ、小皿に取りわけたいですよね。だから私の習性、なんとかしたいと思ってるのだが、とにかく大皿に取り残された料理があると心配で心配で⋯⋯。

 中華料理だと、まず大皿を「このように仕上がりました」と見せにきてくれて、「小皿に取りわけてお持ちします」というシステムになってることもあり、私はこれが大好きだ。取りわけのプロたるお店のひとに委ねられるうえに、取り残される料理が出ない。思うぞんぶん会話と食事に集中できる。みんな平和で幸せ。

 なんの話だったっけ? そうだ、大幅に脱線してしまったが、奈良漬けだ。

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著者:三浦しをん(みうら・しをん)氏

1976年、東京生まれ。
2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。
2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞、2019年に河合隼雄物語賞、2019年『愛なき世界』で日本植物学会賞特別賞を受賞。
そのほかの小説に『風が強く吹いている』『光』『神去なあなあ日常』『天国旅行』『墨のゆらめき』『ゆびさきに魔法』など、エッセイ集に『乙女なげやり』『しんがりで寝ています』『好きになってしまいました。』など、多数の著書がある。

撮影 松蔭浩之

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