部屋が狭いからといって、同居人あるいはペットの足腰をへし折ってスペースを確保するひとがいるだろうか。そんな身勝手かつ恐ろしいことをするひとはいまい。
だから私も、これだけはやらないぞと決めていた。なにかというと、パスタをへし折ってフライパンに入れることだ。
以前にこの連載で書いたと思うが、私はパスタソースを買ってきても、必ず一手間加えてしまう。レンチンや湯煎であっためるのではなく、フライパンでパスタソースをあたため、そのついでに野菜やベーコンも投じて、具をかさ増しするのである。太るし、「これって結局、調理してるんじゃないか?」と思えて、お手軽なパスタソースを買ってきた意味を見失っている。
それでまあ、小さなフライパンでパスタソース(具はかさ増し)を作製しつつ、かたわらの鍋でパスタを茹でていたのだが、徐々に悪魔の囁きが大きくなっていった。
「鍋を使ったら、そのぶん洗い物が増えるよ? そのフライパンにパスタと水を投じて、パスタソースと一緒に煮詰めていけば、それで一気に完成じゃん。流行りのワンパン料理、やっちゃいなよ」
ぶるぶると首を振って、悪魔の誘惑を遠ざける。だめだ、絶対にそんなことはできない。洗い物を減らすという、ひたすらこっちの都合で、せっかくのパスタを真っ二つに折るなんて、同居人やペットの足腰をへし折るがごとき残酷な所業じゃないか。そもそも、フライパンに水をどんぐらい入れればいいのか、よくわからないし。私は断固として鍋でパスタを茹でるぞ。
つぎの瞬間、「メキメキメキ、ボキボキボキ」という音が拙宅の台所に鳴り響いた。悪魔のそそのかしにわりとあっさり屈し、ためらいなくパスタをへし折ったのである。目分量の水とともに、パスタソースが煮えたぎるフライパンに投じた。
そしたら簡単に、フライパンのなかでおいしいパスタができあがった。皿は使わず、フライパンから直接食べるので、まじでワンパン調理である。洗い物はフライパン一個とフォークのみ。やったー。もっと早く、パスタをへし折ればよかった。
足腰をへし折られたパスタが泣いている(パスタの足腰がどこなのかわからないが)。意にも介さず、ぺろりとたいらげる。なんという残酷。なんという悪魔的所業。いつか同居人やペットの足腰もためらいなくへし折るのでは、と自分が怖い。同居人やペットがいなくてよかった。
だが、洗い物を極力減らすことの快適さに比すると、パスタの感情など無視できてしまうのだった。最近では淡々とパスタをへし折りながら、「どうしてパスタって、きれいに真ん中から二つに折れないんだろう。なんか不規則にあちこちが折れるうえに、欠片が細かい粒になって飛び散るし、困ったもんだなあ」などと、自己の都合ばかり考えている。パスタたちは私のことを、冷徹な殺戮マシーンだと噂しているにちがいない。力に任せてへし折りまくるぜ。
たまに、飛び散った粒がまぶたを直撃することがあり、「あぶなっ」とか一人で言っている。パスタたちの、なけなしの報復だろうか。眼球に当たったらものすごく痛そうなので、細い目をさらに細めて、パスタをミシミシメリメリと折っている。
フライパンが小さいのがいけない(すぐ外部要因に責任を負わせようとする)。でもなあ、大きいフライパンは重いし、洗うのもより面倒になるし⋯⋯。
などと考えつつ就寝したら、夢を見た。
私は深い水のなかにいる。水面のほうを見上げると⋯[続きを読む]
著者:三浦しをん(みうら・しをん)氏
1976年、東京生まれ。
2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。
2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞、2019年に河合隼雄物語賞、2019年『愛なき世界』で日本植物学会賞特別賞を受賞。
そのほかの小説に『風が強く吹いている』『光』『神去なあなあ日常』『天国旅行』『墨のゆらめき』『ゆびさきに魔法』など、エッセイ集に『乙女なげやり』『しんがりで寝ています』『好きになってしまいました。』など、多数の著書がある。

撮影 松蔭浩之




