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2026.07.21 更新

容器の問題

 子どものころからいまに至るまで、茶碗蒸しが好きだ。

 外食時に、「○○御膳セット」という感じのものを注文し、茶碗蒸しもついてくると、自然に顔がにやける。「おお、茶碗蒸しだ。得したな」と感じる気持ちを抑え、ほかのすべてをきれいにたいらげたあと、落ち着いてじっくりと味わう。

 そのころには茶碗蒸しは冷えているわけだが、かまわない。冷えてもおいしいのが茶碗蒸しのいいところだ。むしろ、出汁の味がより染みこんでいるような気がして、「おいしい⋯⋯」と、つるり、つるりと一口ずつ喉でも堪能する。

 茶碗蒸しにエビと銀杏はマストだと思うが、甘辛く煮たシイタケが入っていると、さらに喜びが増す。まずはシイタケだけをほじくり返して食べ、つぎに、そのまわりの煮汁が染みた茶碗蒸し本体部分も、えぐって口に入れる。ほのかな味変がたまらんのだよなあ。

 青森県に行ったとき、銀杏のかわりに栗の甘露煮が入っており、銀杏を受け止めるつもりでいた舌が驚いた。しかしこれも、甘辛く煮たシイタケと同じような役割を果たしているとも言えて、なかなかよきものだった。

 茶碗蒸しは、しょっぱさと甘さと出汁のハーモニー。すべてがほのかなところも、舌触りがなめらかなところも、私にとっては好ましい。

 ただ、茶碗蒸しにそこまで思い入れのないひとも多いようで、私の母もそうだ。「○○御膳」のときは、「もうおなかいっぱいだし、茶碗蒸しはあなたにあげる」と言ってくる。いいの!? 茶碗蒸しがメインというか、この御膳のクライマックスなのに!? と思うのだが、母としては、茶碗蒸しは「あってもなくてもいいもの」なのだそうだ。信じられぬ。

 そのせいなのか、両親と暮らしていたころ、晩ご飯に茶碗蒸しが出てきたことは数回ぐらいしかなかったと思う。丼いっぱいほど食べたいのに、これでは私の茶碗蒸し欲求が満たされない。

 じゃあ一人暮らしをするようになって、自分で茶碗蒸しを作りまくっているかというと、実は一度もない。一人で作って一人で食べるには面倒というか、その一品だけではご飯のおかずになりにくいというか⋯⋯。すまん、茶碗蒸し。私が作ったら、絶対に「す」が立ちそうだし。

 そんなこんなで、茶碗蒸しは「○○御膳」を注文したときだけのお楽しみとなっている。茶碗蒸しへの情熱があるのかないのかわからない態度だが、恋人とはたまに会うぐらいが刺激的でちょうどいい、ということだろう。

 今年、お中元で茶碗蒸しをいただいた。蓋つきのお湯飲みみたいな形状の器に入っており、冷蔵庫で冷やしてそのまま食べられる。具も、湯葉とかエビとか盛りだくさんで、とってもおいしい。私は喜び勇んで、一日一個ずつ大切に食べたのだが、問題は容器をどうするかだ。

 この容器、プラスチック製のようなのだが、けっこう分厚くて、もしかして電子レンジ対応なのかなと思う。だとしたら容器を再利用して、茶碗蒸しを自宅でも作ることができる。いまこそ、茶碗蒸しづくりにチャレンジするときなのではないか?

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著者:三浦しをん(みうら・しをん)氏

1976年、東京生まれ。
2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。
2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞、2019年に河合隼雄物語賞、2019年『愛なき世界』で日本植物学会賞特別賞を受賞。
そのほかの小説に『風が強く吹いている』『光』『神去なあなあ日常』『天国旅行』『墨のゆらめき』『ゆびさきに魔法』など、エッセイ集に『乙女なげやり』『しんがりで寝ています』『好きになってしまいました。』など、多数の著書がある。

撮影 松蔭浩之

地中海世界の歴史8