ある日、山歩きの友人の家に立寄ったとき、ひとしきり今春採った山菜や、これから先、秋口に狙うものなどの話をしていると、“そう言えば⋯⋯”と彼が立ち上って、裏からダンボール箱を一つ運んで来た。“これ半分、持ってけや⋯⋯”と言う。
毎年秋になると、古い馴染みの鉄砲撃が関西からやって来て、彼がガイドとなり鹿撃ちに出かける習慣があった。その馴染みが彼の許に、十キロ以上もある黒っぽい砂を送ってきたとのこと、身体にいいのだと言う。同感の想いもあって、喜んで貰って帰って来た。この砂を三十センチほどの木綿袋に入れ、いつもの枕に重ねて使ってみようとの心算だった。
寝床に就いて初めて頭がその枕に触れる。さすがに石より当りは柔かく、温度も外気のままだ。その微妙な温感と質感が、何とも言えず心地好かった。
そのとき、それまで通りにすんなり眠りに入れたかどうか覚えは無いが、ある種の快感に身を置いていたことだけは確かだ。爾来数十年、すでに異物感は無いし、この習慣を終りにする気持もない。まったく、日常の瑣末のなかの些末にすぎない枕が、自然、無限という時間を持って我身に馴染んでいると思えることが、ある種の満足を与えてくれていることを折にふれて思い出すのである。
高田則雄





