だいたい吉祥寺に住まう

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2026.06.22 更新

アダージョな生き方でソロソロと

  この連載のなかで、これまでにも気候変動にかかわる話題、とくに「温暖化」どころか「灼熱化」とも形容されるような異常な高温現象や、季節はずれの暑さや寒さの連続といった話には、何回か、いや何回も、ふれてきたところです。またか、と言われそうなのですが、今年のいわゆるゴールデンウィークと、その後の季節外れの台風騒ぎや暑さに見舞われた5月から、いま梅雨入りすぎて雨がちとなった6月半ばにかけて、海水温の高さや気温変化など、いやでも奇妙な動きが目につきます。もちろん、いつでも平均値のようにして季節が移ろうわけではありませんけれど、それにしてもね、いい加減にしてよ、って、言いたくもなりませんか。

 そうしたなかで、農林水産業にたずさわっておられる方たちは、品種改良などもふくめてさまざまな工夫を重ねてこられたわけですが、それでも自然界の極端な変化になかなか対応しきれないくらい、天変地異の状況は簡単ではなさそうですし、ハウス栽培などにこだわればこだわるほど、今度は電力消費や石油消費をめぐる国際状況の悪化にも、影響を受けざるをえない、という悪循環。いやはや、国家安全保障などといって兵器のことばかり頭に置く人たちはよほど能天気なのか、ミサイルあっても食うものなかったらどうする気かね、と言いたくなるほど、問題は深刻化しかねないと思うのは、齢重ねて悲観的になった老人の繰り言といって済まされないテーマになりつつあるような。AIに頼ったところで、お腹がいっぱいになるわけではありませんしね。食糧確保という点は、80年近く前の食糧難を幼心に記憶している者にとっては、昨今の通貨価値激減にともなうインフレ、という困難からの出口戦略が(案の定)立たないという政治の無様とともに、ありがたくも鬱陶しさを倍加させてくれています。

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 鬱陶しい話ばかりで嫌になる時には、音楽を聴く、というのが我が習い。といっても、音感が良いわけでもなく、音楽について蘊蓄(うんちく)を重ねるような知識があるわけでもなく、ほとんどランダムに気の向くまま手元に残されてきた手段で、音を鳴らしている、といったところでしょうか。古いレコードは、いわゆる本格的なステレオプレイヤーが壊れて処分してしまって以来、より簡便なレコード再生装置と限定的に残したレコードのみで、かつて買ったビートルズやフランスのシャンソン関係のもの、かと思うと交響曲からジャズに至るまで、やはりかつて若い頃に買っていたものを引っ張り出して、時に聴いてみたり。

 しかし最近ではそれも面倒だと、CDプレイヤーという手間の少ない装置に頼って、やはり雑多に自分で買ったり、人から頂戴したり、あるいは、娘などが買って残してあるものなど、出所はバラバラ、音楽の種類もバラバラなのですが、CDをかけることのほうが多くなりました。そのなかに、カラヤン指揮、ベルリンフィルハーモニー管弦楽団が演奏する『アダージョ カラヤン』という、いまから30年ほども前にだされたものがあります。いまでは音楽はネットで聴く、というのが主流なのかもしれませんが、当時はまだレコードやCD、あるいはカセットテープなども、現役でした。ある程度年配の方はご記憶かもしれませんが、ドイツのグラモフォン社から出されたこのCDは、20世紀が終わろうかという時期に、ヨーロッパの多くの国で何十万枚という爆発的な大ヒットを記録して、日本でも話題となったのでした。もしかしたらトータルでは、ミリオンセラーとなったのかもしれません。私が自分自身で買ったという記憶はないのですが、カラヤンといえばベルリンフィルの人気を高めた、時代の寵児ともいわれた指揮者ですが、彼が指揮をとって演奏したベルリンフィルの曲目から、アダージョなテンポでゆったりと奏でる部分を抜き取って編集するという、およそそれまでのレコードやテープという媒体では不可能であったまとめ方をしていたのです。なかには、パッヘルベルというプロテスタント系のバロック教会音楽家による『カノン』という曲目のような、独立した作品も収録されていましたが、他方では、マーラーの交響曲第5番から第4楽章のアダージェットの部分の演奏のみを抜き取って収録する方式も合わせて作成され、いわば慌ただしく追われるような生活をしてきた現代人に、もっとゆったりとした生き方の良さを音楽として提起する、という編集を実行していたわけです。もっとも、曲目全体からアダージョやアンダンテの部分のみを再録して編集するという手段は、賛否両論あったようではあります。しかし、この編集の仕方には、速度に追われ、心の余裕を失いかけている現代人への警鐘という意味合いも、あったのかもしれません。

 英語やフランス語よりも、音楽のテンポに関するイタリア語の表現はキメが細やかだと言えるのでしょうか。私の知る限りでフランス語と比較しても、そんなふうに思えるのは、私がフランス語による音楽テンポの表現に通じていないだけなのかもしれませんが、イタリア語では「アンダンテ」は、「歩くくらいのゆるやかなテンポ」、「アダージョ」は「アンダンテよりもさらにゆるやかに」、「アダージェット」となると「アダージョよりもやや速く」、そして「ラルゴ」は「ゆっくりと豊かに」となるのだそうです。イタリアは、地方ごとの個性が今もって存続している稀有な豊かさを示している国のように思えますが、言葉も、地域特有の表現が存続していたり、私にしてみれば、若い頃にもっときちんと勉強しておけばよかったと、この歳になって思うことしきりです。後悔先に立たず、ですね。

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著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)氏

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。
著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。

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