昨年が日本にとって戦後80年の節目、ということで続けてきた文章も、前回で終わりのつもりだったのですが、ここにきて、イスラエルと米国によるイランへの空爆にはじまって、イランを中心とした中東域で、軍人や軍事施設だけでなく、おびただしい民間人の死や生活の破壊、怨嗟の応酬という、人間としてもっとも愚かな状況が再出するのを目の当たりにして、なんてこった、という思いを強く持つと同時に、大量殺人ともいうべき殺し合いや破壊の虚しさ、そして平和のなかでの競い合いをこそ思い描くべし、という気分にならざるを得なくなり、番外編と相成りました。日本政府の的確な状況判断の欠落やなんじゃこれはの対応にしても、うんざりの極みというほかないのですが、殺人兵器の質をいくら上げても平和は保障されない、と考えるべきでしょうと思っています。
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繰り返しになりますが、私が吉祥寺に住み始めたのは小学校2年生で転校してきた1954年、昭和29年のことで、まだのどかな町の風情でした。今の吉祥寺大通りなどは開通していませんし、中央線は高架ではなく地上駅、当時は日本通運が一手に引き受けていたように記憶しますが、鉄道輸送の貨物の送受をする場所が駅にあるのを、小さい私に何が面白かったのか、眺めたりしたものでした。井の頭線だけが、公園脇を走ってきた地形上の理由からでしょう、今同様に2階レベルに始発終着のホームがありましたが、そこへつながる国鉄の出入口への経路は、階段と渡り廊下のような構造でした。今ではほぼ全く自動化された駅の改札口ですが、かつてのように、入口で駅員さんがカチャカチャと、独特なハサミで切符に切り込みを入れるのも、また風情でした。なかには、アクロバチックにクルクルとハサミを回しながら、切符に切り込みを入れる改札係の駅員さんもいたりして。
その駅から出て北東へ延びていく「駅前通り」、現在のサンロードというアーケード街にあたりますが、その通りにはまだ屋根はなかったばかりか、そこを、いわゆるボンネット型の形をした路線バスが、五日市街道からの一方通行で入って、両側の商店の屋根スレスレに走ってくるという、のんびりした商店街でした。60年代の半ばを過ぎるまでは、自動車の数も限られていました。
リヤカーといっても、今の若者には通じないことのほうが多いかもしれませんが、大きめの2輪をつけた荷台のことです。それを人力で引っ張ったり、自転車の後ろに繋いで引っ張る、といった輸送手段が当時はまだ一般的で、これは引っ張る方はたいへんですし、積める容量も限られているとはいえ、排気ガスゼロの無公害な運送手段であったという点では、もっと再評価して再活用すれば良いのにとも思えます。もっとも最近では、輸送会社の社員さんが現代風のリヤカーみたいな荷車を押しながら、走って配達しているのを見かけたり、自転車で引っ張ったりしているのも、見かけるようになりました。えらいなあと感心しますが、体力づくりを兼ねていると割り切れば、若い配達員には良いのかもしれません。環境のために良いのは間違いないですね。
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昭和29年春から、私ども家族が同居するということで、祖父は、前年に建て増しした離れの部屋で起居する形式をとりました。のちにいろいろな面で世話になった地付きの工務店との付き合いが、このときに始まったのかもしれません。祖父は、昼間はオフィスに出たり所用で外出していることも多く、あまり顔を合わせることが多くはなかったように記憶します。そうであるだけに余計、祖父の帰宅の時には、幼かったこちらは何となく心を引き締めるみたいな感じであったことも記憶にあるのですが、その祖父も、同居し始めて間もなく、翌年の寒い1月に倒れて、急逝してしまったのでした。手元に残されている旧戸籍書類には、死亡届が同居親族の阿部敦によって提出された、とありますので、私はすっかり忘れていたのですが、この時期には母親の弟がまだ独身で同居していたのかもしれません。この叔父は冗談好きな面白い人で、バイオリンもこなすし、工学部出身なので機械いじりも巧みで、この時代のテレビで画面の写り方が悪いと、叩けばなおるさと言ってダンと叩いたら、画面が本当にはっきり見えるようになったという、嘘みたいなことも起こったのが、記憶に残っています。この時期には、内部に真空管という、差込型の長細い電球のような形状をした部品が何個か使われていたのが、少し緩んだに違いない、という見立てだったようです。もちろんなおったのは、たまたまだったのでしょうが。
戦後しばらくの間は、いわゆるアナログ式の時代で⋯[続きを読む]
著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)氏
学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長
1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。
著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。





