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連載エッセイ

2024.04.22 更新

頼りないながら、フランス娘のゴッドファーザーとなった話[3]

 約2年間の私の最初のフランス行きは、遊学などと書くように、学問の上では大した経験が積めたわけでもなかったのですが、民俗学あるいは人類学的なモノの見方との関係なども含め、見抜き考え抜くという姿勢の習得では少なからぬところがあった、と思っています。現在と過去とでは、考え方、感じ方で、同じでないのは当然ですが、しかし現在のフランスでの市民生活の様相や考え方について分からないまま、その過去についてだけ分かるというのは、とてもありそうに思えないというのも考えにありました。その点で、とても有難かったのは、ファデフ夫妻という、共稼ぎで経済的に中間層といえる家庭を築きつつあった、私らともほぼ同世代の方達と親しくなれたことでした。ご夫妻については、すでにこの連載シリーズの第5回、「トサカに来た話」にも登場して、少しご紹介しましたので、一瞥いただけると幸いです。

 このご夫妻に、最初の赤ちゃんが生まれたのが、私の滞在も2年目に入ったあと、76年の2月でした。リディアと名付けられたお嬢さんは、むずかることも少なく、可愛らしく育ち始めたのですが、熱心なキリスト教徒では必ずしもなかったファデフ夫妻も、子供の誕生に合わせたキリスト教での名付けの儀式等は、しっかりしておきたい、という生き方をしていました。そこで、さて誰に頼むかで問題となったのが、名付けの父親すなわちゴッドファーザー、フランス語ではパランと言いますが、その役を誰が担うかでした。結論から言うと、それがなんと私に舞い込んだのです。嘘でしょ、僕の母親は洗礼を受けたクリスチャンだけど、僕はそうではない、と言ったのですが、事情のあるディディエとヴィッキーのファデフ夫妻は、「いやお前さんは真面目だし、人を裏切るような性格ではない。何か万一の際にリディアを支える役割もできるだろう」から、主教とも面談して了解してもらえば大丈夫、と言う強い依頼なのでした。

 名付けの母親ゴッドマザー、フランス語でマレーヌは、子供の父親方の親族から出し、ゴッドファーザーは子供の母親方の親族から出す、と言うのがカトリックでも、ファデフ夫妻の属するロシア正教会でも通例なのだと言います。じつは夫君のディディエの父親は、なんとロシア革命後に母国からフランスへと逃れて来たコサックで、この私の遊学時にはまだご存命で、ノルマンディからパリに出て、マレ地区のアパートに一人で住んでおられました。一度ディディエに連れられてその部屋を訪れましたが、すでに高齢で温厚な雰囲気であった父君の眼光は鋭く、なんとコサック時代のサーベルを大事に保存しているのにはびっくり。あとから振り返ると、その経験についてインタヴューして記録しておくのだった、と思いますが、残念、その時には思い至らず、でした。このお父さんが、亡命してきたノルマンディでフランス女性と恋に落ち、ディディエが生まれたのですが、お母さんはすでに逝去され、ディディエにはお姉さんが一人いました。名付けの母親の役は、慣わし通り、このとても温厚で素敵なお姉さんが担当することで問題ないのですが、名付けの父親の方は、赤ちゃんの母親方の親族男性がなるのが慣わしだと言います。そして母親のヴィッキーには、育ての養母はいるけれども、養父はすでに他界し、他に親族もいないので、私にその役をしてくれというわけです。いやはやびっくり。ヴィッキーの生涯はなんともドラマチックで、じつは母親は日本女性、父親がロシア兵で戦後の連合軍占領時代の日本で彼女は生まれ、その後事情あってロシア人の養父母にもらわれ、ビジネスに携わる養父母は南米ベネズエラのカラカスを拠点にしたので、ヴィッキーも物心ついた時にはカラカスでスペイン語の世界だったと言います。教育のために高校時代から、寄宿制のイギリス女子高に送り込まれ、その時にフランス旅行をして、パリのロシア人コミュニティの集まりなどでディディエと知り合い、互いに恋に落ちた、というのです。スペイン語、ロシア語、英語、そしてフランス語を自在に使う彼女の、なんとも小説のような話です。いや、事実は小説より奇なり、でしょうか。

 こうして口説き落とされた私は、パリ8区、日本大使館からも遠くないダリュ通りにあるロシア正教会の本堂にあたる聖アレクシス教会(正式名称はどうやら聖アレクサンドル・ド・ラ・ネヴァ教会といって、1861年に創建された由緒ある、モニュメンタルな、いかにもロシア教会風の塔が何本も立っている立派な教会)にファデフ夫妻と一緒に赴き、パリ主教と面接し、私が名付けの父親で良いか了解してもらうことになったのでした。当時の主教は随分さばけた感じの方で、まだ冷戦も終結してはおらず、ソ連が存在していた時期です。こうして私は洗礼の式典に、代父として立ち会うこととなり、通常はあり得ないような、とても貴重な経験をすることができたのです。洗礼堂の中心には洗礼台があり、それを真ん中にして一番内側を、赤ちゃんのリディアを抱いた主教が、そのすぐ外側を代母のディディエのお姉さんが、そして一番外側を代父の私が、並んで3回ぐるぐる回った後、主教が赤ちゃんをボチャンと洗礼台の水につけました。リディアは泣くわけでもなく、感心しましたが、一番外側を回る私は遅れるわけにはいきませんから、必死です。なんとも貴重な経験でした。クリスチャンでもないのに代父となって幼児洗礼に、それもロシア正教のそれに立ち会った日本人は、おそらく数少ないのではないかと、今でも思っています。人生には、いろいろなことがあるものです。生きることは、ポジティヴに考えましょうね。

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著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)氏

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。
著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。