私が小学校1年生まで代々木にいた時期は、本当の戦後すぐですから、手作り飛行機の模型などはまだなかったのではないかと思います。あったのは、まだ空襲の跡が残る、なにかスカスカした感じの町の空間でした。下水路はまだ道の端に蓋もなく設置されたままで、気をつけないと落っこちましたし、道路もせいぜい砂利道で、雨が降れば水たまりができて、その表面を泳ぐ、というか走るというか、している「水すまし」を捕まえようとしたものです。小さい頃の私は屋内で静かに本を読む、といったタイプの子ではなく、どちらかといえばすぐに動き出すような子供だったのかもしれません。室内の小さなタンスによじ登って、チャンバラごっこだといって飛び降りて腕を骨折した、などというバカな真似をしたことを覚えています。当時、嵐寛寿郎の演じる「鞍馬天狗」という映画が有名で、小さな子であった私がそれを映画館に連れて行ってもらって見たとは思えないのですが、知っていて真似していたのは、おぼろに記憶しているのですね。骨折したあと、あわてた母に連れられて、「骨つぎ」という看板を掲げた近所の接骨医に対処してもらったことも。その後なおりましたから、伝統的な処方も捨てたものではありません。
それにしても、戦中とは違って、空から爆弾が降ってきたり、機銃掃射に遭ったりする危険がなかっただけ、本当に幸いなことでした。今秋に逝去なさった名優の仲代達也さんが、テレビでのインタビューで語っていた戦中体験は、とても印象的でした。まだ自身も生徒だった時代に東京の空襲で逃げるに際して、おろおろしていた小さな女の子の手を引いて、一緒に逃げなさいと言って走り出したら、急に自分の手が軽く感じて見たらば、その女の子の手しかない、というわけです。ちょうど、機銃掃射があたりを壊滅させていたところだったので、不幸にもその子の体は撃ち抜かれて手だけが仲代さんの手に繋がれて残っていた、というショッキングな経験をなさったと。それが、自分が絶対に戦争には反対する、反戦の立場を明確にする、重要な経験になった、と。ブレヒトの有名な戯曲である『肝っ玉おっ母とその子どもたち』を、仲代さんが最後までなぜ重要な演目とし続けたのか、その一つの理由が、戦中の恐ろしい経験だった、と。
集住地への大空襲は、東京だけではありませんでした。国内各地の主要都市は、ほぼ壊滅状態になって、多くの犠牲者を生み出したのでした。だから米軍はけしからん、というのではなくて、日本軍もアジア各地で多くの犠牲者を、さまざまな形で生み出したわけで、戦争とは、早い話が殺し合いを辞さないそういうものでしょう。そして原爆、水爆が示すように、すでに技術革新は、地球全体を何回でも破壊できるほどの凶器を、人類に与えてしまっているわけですから、なんとも言いようがありません。
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年の瀬は、なにか慌ただしいのはいつもと変わりないとしても、日本についても世界でも、何かしらきな臭い様相が漂っているのは、困ったことです。プーチンのロシアによる身勝手な侵略戦争、無差別に無人機を打ち込んで市民を虐殺、侵攻して略奪をいとわない軍事展開といい、またパレスチナでの住民を犠牲にした爆撃や砲撃の酷さは、それらを停止させる手段、方法が、なかなか簡単には進まないだけに、技術革新が進んだ世界のゾンビのような、愚かなマイナスの面ばかりが目について、ウンザリの極みといった気分になります。
テクノロジーの先端的な進展は、確かに一方で、病との戦いに新たな可能性を開くとか、工業発展がもたらしたマイナス面にあたる、さまざまな環境破壊に対する闘いの武器にもつながるわけですけれど、他方では、戦争を念頭に、防衛体制を強化する、といった発想から、軍事装備の先端化や多様化を進め、地球の破壊につながりかねない可能性を、常にはらんでいると言わなければならないようです。地球上のすべての人々の生きる権利、人間のみならず多様な動植物の生きる権利が尊重される世の中にしたいものです。そう切に願う年末です。

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)氏
学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長
1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。
著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。





