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2026.02.24 更新

戦後80年の節目に呼びおこす記憶(番外編2)[2]

 戦後しばらくの間は、いわゆるアナログ式の時代で、今から見ればなんと時代遅れか、と言われるわけですが、しかし現在のように、普通の市民にとっては仕組みがブラックボックスであるような道具があまりに増えてしまっていると、何が起こるか、起こっているのか、分からないという状態のなかで、ひたすら道具に従うしかないという状況が増えているのではないか、そういう恐ろしさもあるのではないか、と思わされます、旧世代に属する者としては。かつて手塚治虫が漫画に描いたような世界ですが、コンピュータの動きが人間の知を超えて一人歩きし出して人々を支配するようになる、それに人間が気づかずに自分で判断して動いているのだと信じて、じつはコンピュータシステムの枠内で動かされている、という状態ですね。

 なんだか変な話になってきましたので、話を戻します。怖い人だとばかり敬遠していた祖父が、私ども孫を連れて出かけたことが一度あった記憶があります。同居し始めた年の夏休みに、井の頭公園の池の周りで花火大会が開かれて、それを見に連れて行ってくれたのです。この花火大会がどの程度の規模だったのか、幼い子供にはかなりの大きさで、池の中での仕掛け花火もきれいだったという記憶なのですが、さて、そんなことが本当にあったのか。武蔵野市か三鷹市の歴史に詳しい人がいれば尋ねることもできるのですが、井の頭公園は、池の周りや南側、現在では西園もそうですが、これらは三鷹市の区域で、池の北側を上った区域から北と、吉祥寺大通りを西へ越えた自然文化園のある御殿山の側は武蔵野市に属していますから、二つの市にまたがった公園で、公園の管轄は東京都ですから、何ともややこしいことですが。ただこの時期には、まだ周りに背高のマンションなどは立っていない、空が広くひらけていた本来の姿でしたから、今の池の周辺よりもゆったり広く感じられたことは確かでしょう。時代が進んだって、よくなるとは限りませんね。大正時代に緑地公園になる以前には、ここは帝室御料地だったはずですし、それ以前の江戸時代には、よく知られているように井の頭池の水は神田川を整備して江戸に送られる重要な水源でしたし、周辺の森や草原は将軍による鷹狩りで有名なところでもあったのですね。いまもときには、林の大きな木にオオワシがきていることもあるそうですから、見られればラッキーでしょう。カラスの群れには要注意ですが。

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 井の頭公園に、今ある野外ステージが造られたのも、私が小学校の高学年になる頃でしたし、インド象の花子さんもいた自然文化園が整備されて、動物たちがいて遊具などもあるその同じ園内に、長崎の平和祈念像の作者として有名な北村西望さんのアトリエがあって、制作活動がなされ、作品の展示もなされていたのが、こども心には不思議に感じられたことも、記憶に残っています。現在では、北村西望さんの彫刻の展示館が立派に整備されて、昭和史に沿った作品の歴史的経緯を知ることができますし、屋外展示と合わせ一見の価値がありますから、西園の先に造られたジブリ美術館だけでなく、北村西望彫刻館のさまざまな作品を見ながら、昭和期日本の歴史のあり方に想いを馳せてほしい、と願う昨今です。

長崎の平和記念像(北村西望)

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著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)氏

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。
著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。

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